2017/09/20

遍路ころがし上等!登りきって功徳を積むぞ!27番 神峯時

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動画提供元:香川大学大学院 地域マネジメント研究科

9日目の最後のお寺、神峯寺(こうのみねじ)を目指すサイクリスト達。
ゴールまでの道のりをダイジェストで振り返ります。

早朝6時に徳島の薬師寺を出発。
ちょっと緊張気味でしょうか。長い1日のスタートです。

1番目のお寺、お大師様の待つ最御崎寺(ほつみさきじ)へ。
羽原住職のパンク、真梁(しんりょう)さんのお尻痛くて途中ストップするアクシデントを乗り越え無事完走。
いやー、長かった。

本尊の地蔵菩薩が初代土佐藩主を海の遭難から救ったという昔話が伝わる津照寺(しんしょうじ)、弘法大師が若き日に修行の地とされた金剛頂寺(こんごうちょうじ)と進み、

本日のゴール、神峯寺に到着です。でも実はここまで約3kmの曲がりくねった山道を登ってます。
まさに修行の道。駐車場が見えたときはほっとしたんじゃないでしょうか。
羽原住職 思わずガッツポーズです。

感動のゴールです!!! やったー。
みなさんお疲れ様でした。

真梁さん ”楽しかったですよ。でもお尻が痛いです。お尻対策が必要ですね。”
そういえば真梁さん、お尻痛くて途中で止まってしまいましたもんね。
確かにサドルが硬いですよね。わかります。でも乗ってるうちにお尻が硬くなって慣れてくるんですよ。

では、お寺をご案内しましょう。

神峯寺は、神功皇后(じんぐうこうごう)の命令を受けて天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)った神社を起源とし、天平2年(730年)に聖武天皇(しょうむてんのう)の命令を受けた行基(ぎょうき)が、十一面観世音菩薩を彫り、本尊としてお寺が建てられました。

その後お寺は、明治初年の神仏分離令によって神峯神社(こうのみねじんじゃ)だけが残り廃寺となり、本尊は金剛頂寺に預けられましたが、明治20年(1887年)に本尊をお寺にもどして復興されました。

お寺には、幕末、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し、現在の安芸市より片道20キロメートルの道のりを素足で21日間通い続けたという逸話があるそうですが、往復40kmというとフルマラソン並みの距離ですよね。今ほど道も整備されていない中、しかも裸足で21日間も往復したとはちょっと想像もつきませんね。

神峯寺は、真っ縦(まったて)と呼ばれる急な山道を登った山上、標高450mの高さにあります。
遍路道では、お遍路さんが転がり落ちてしまうほど危険な難所のことを「お遍路ころがし」と呼びますが、お遍路さんが転がってしまうほどの場所にお寺を建てるのは相当大変だったんでしょうね。

まずは、本堂へお参りです。
福島さん ”はぁ、はぁ、はぁ”
ちょっと息が上がってますね。あとちょっと、本堂は目の前ですよ。

お寺の400mほど奥にある神峯神社のさらに上に、燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれる岩があります。
この岩は、天変地異などの異変が起こる前兆として青白く光ると言われており、日清戦争、日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、南海地震の前に光ったと伝えられているそうです。

お話のあとは般若心経を唱えます。
般若心経と太鼓の音が心地よく響きます。
みなさん、無ですよ、無。

9日目、4人のサイクリストさん、大師堂で最後のお勤めです。
自転車と般若心経、道中は厳しかったですが、心身ともにリフレッシュできたんじゃないでしょうか。

総距離にして約125kmの自転車の旅も無事終了です。

最後にフェイスブック用にサイクリストのみなさんで1枚。
3.2.1 カシャッ
無事に走り終え、みなさんやりきった感じでいい表情ですよ。
ホッとしたのか、若干はっちゃけ気味の真梁さん。

こちらは神峯時のご住職と1枚。
3.2.1 カシャッ
真梁さん、はっちゃけてると思ったらお子さんの真似だったんですね。
こちらもいい写真が撮れました(^O^)

福島さん ”疲れました~”
さすがのベテラン福島さんも最後の山道でやられたご様子。
お風呂にでもつかって、疲れをとってください。お疲れ様でした。

初心者サイクリストのお二人。
やりきった達成感か終わってほっとしたのか、たっちゃんすごくうれしそうです。
スタッフさん ”ものすごいうれしそう(笑)”
真梁さんも笑っちゃってますね。
お疲れ様でした。

途中から活躍の場がなかった360°カメラが最後の最後に…

スタッフさん ”あまり活躍せんかったなあ…”

サイクリストさん、スタッフのみなさんお疲れ様でした。

そして10日目へとつづく。

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